*奥山界隈*

OKUYAMA KAIWAI

ほら来々軒っていうシナ料理があるでしょう。あすこの角のところに、まだ人通りもすくない朝っぱらから、まっ赤なとんがり帽に道化服の、よく太った広告ビラくばり、ヒョコンと立っていたのです。なんとなく夢みたいな話だけど、それが大江春泥だったのですよ。ハッとして立ち止まって、声をかけようかどうしようかと思い迷っているうちに、相手の方も気づいたのでしょう。しかしやっぱりボヤッとした無表情な顔で、クルッとうしろ向きになると、そのまま大急ぎで向こうの路地へはいって行ってしまいました。

「陰獣」 昭和3年8月増刊〜10月「新青年」(第9巻第10〜12号)


奥山はその昔、浅草六区が栄える前の浅草の中心地でした。
見世物小屋や楊弓場、曲芸や生人形、江戸の繁栄を伝える伝統的な興行地だったのです。
当時のにぎわいを伝えるものとして、現在の奥山あたりには沢山の碑があります。芭蕉から半七から徳川無声、まるで彫刻の森美術館のようにドシドシ立っています。
この奥山界隈、つまり観音様から木馬亭を通って六区に抜ける道は、昔から余り変わっていないような印象があります。
店先でおでんを売っている食堂、露店のカバンや洋服屋、赤や緑ののぼりや提灯、まさしく東京離れした、道化服の大江春泥がチラシを配っているのに出会いそうな、ワクワクするような雰囲気です。




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